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日本にもオープン

日本におけるディズニーランドはいかにして誕生したのでしょうか。1979年に東京ディズニーランドの建設に関する契約が締結され、翌1980年より、本場アメリカへ研修員を派遣し、幹部社員9人が約1年にわたりパーク運営やマネジメントになどを学びに行っています。研修プログラムは、ウォルトが興した会社の歴史からテーマショーの性質、ディズニーランドの運営に関わる業務内容や専門知識など大まかな概要から細部なものまで幅広く行われていました。最終的に日本からアメリカのディズニーランドへの研修員は約150人にも及びました。

実際に建設地は東京都ではなく、千葉県浦安市になりその年の12月3日に東京ディズニーランド着工式が執り行われました。記者発表時には250名あまりの報道陣が訪れるなど、東京ディズニーランドは国民の注目が集まり、翌年1月に、建設工事が本格的に開始されました。

その後、予算を大幅にオーバーしたり、新しいキャスト(従業員)の教育で時間を費やしたものの1983年4月15日に東京ディズニーランドが開園します。夢と魔法の王国が日本でも実現し、今日にいたるまで日本のテーマパークとして長年トップの来場者数と売り上げを誇ります。

遂にオープンを迎える

その後1954年7月に着工されています。創設者はその建設現場に足を運び、子供の視線に合わせて、アトラクションや施設をチェックしていました。翌1955年にアメリカのカリフォルニア州で遂にディズニーランドがオープンをしました。現在にいたるまで世界中のディズニーランドの内、最初にオープンしたテーマパークでもあります。

オープンから、アメリカ国内だけでなく、世界で最も有名で利用客の多いテーマパークとして君臨し、各国の王族や首脳が数多く訪れることでも有名です。また、遊園地としてだけでなく、自社キャラクターのパレードや複数のテーマパークを隣接し、ホテルやショッピングモールなどを含むリゾート施設としても発展していきます。このスタイルはアメリカ、日本やフランス、香港など世界各国に展開しています。

彼は、遊園地で楽しいのは子どものみで、大人達はベンチ位しか居場所がなかったという実体験を元に、「大人から子どもまですべての人が楽しめる」というコンセプトを持っていました。また、「いつも掃除が行き届いていて、美味しいものが食べられるような夢の世界を作りたい」と語っています。これらは現在の世界中のディズニーランドの土台となっています。

ランドの当初の計画

当時はサイレント映画が主流の頃に、世界で初めて短編アニメのトーキー映画を送り出したことでも有名で、会社は軌道に乗り始めていきます。数多くのアニメーションを送り出し、創設者は自社の社員に対して娯楽施設を作ろうと考えました。これが後のディズニーランドのモデルになります。

当初の計画では、カリフォルニア州の自社スタジオの隣に土地を買い占め、蒸気鉄道をメインとした遊園地を建設する予定でした。後に自宅に8分の1スケールのミニチュアの機関車を設置し、遊んでいたとされているほどの鉄道好きといわれています。第二次世界大戦では軍に会社を私物化されるなど、当初の計画からは大幅に変更を余儀なくされ、より広い土地が必要であることが判明しました。1950年代に入り、ディズニーランドの建設への事業資金が困難に直面しましたが、新たな資金源の確保にテレビ番組を利用することを決定します。1954年から「ディズニーランド」という番組が放送されました。

また、この周辺の土地は当時オレンジ畑がメインでしたが、年間を通して好天に恵まれていることが多く、高速道路の建設が予定されており、将来の周辺の発展と交通の便が見込まれる立地でした。

ディズニーランドの創設者

夢のテーマパークといえば何を想像するでしょうか。「夢と魔法の国」というフレーズが最も似合うものとして誰しもが「ディズニーランド」を挙げることでしょう。子供はもちろんのこと大人も楽しめるような雰囲気は、ジェットコースターや観覧車に代表されるような遊園地としてだけでなく、より大きい存在としてテーマパークという新しいジャンルを確立しました。1955年にアメリカのカリフォルニア州で開設したこのディズニーランド。この歴史はいかにして現在に至るのでしょうか。

ディズニーランドの歴史を語るうえで絶対に必要なのがディズニーランドの創設者です。アニメーターや映画プロデューサーとして世界中で高い評価を得ており、今日に至るまで彼の作ったキャラクターは誰でもすぐに判別できるほどです。

ところが、すべてが順風満帆ではなく、若干20歳で初めて企業した会社も後に倒産してしまいます。次に設立した会社では新しいキャラクターを考案し、アメリカのアニメ制作会社として仲間のアニメーターと奮起して成功をおさめます。しかし、ここでも倒産の危機が訪れます。現在の映画配給会社ではライバルとなる大手ハリウッド配給会社(当時は自社配給していなかった)に法外な契約料を請求され、創設者が断ったために有能なスタッフの大半を引き抜かれてしまいます。そこで再起を図ろうと新しいキャラクターを考案しているときに、今まで敵役で出演してきたネズミを主役にすることを考え、新たにスケッチしたデザインが、今日までに誰もが知っているディズニーランドのメインキャラとなりました。また、ネーミングは妻の助言から決定したといいます。